白血病になった時の話

人生で二度白血病にかかりました(現在は寛解しています)。その時の記憶を遡りここに記していきます。

治療の終わり・仲間の通夜

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維持療法も段々頻度が減っていき、短期の入院治療がなくなり、やがて

外来治療も終わりを迎えました。

やっと抗癌剤から解放されたんです。

これほど嬉しいことはありません。

抗癌剤が終わったということは全ての治療プランが終わったということです。

治療が始まってから大体3年くらいでしょうか。

長い長い闘病生活が終わりを告げました。

 

通院

治療が終わっても定期的に通院を続けます。

血液にまた異常が出てきていないかを調べる為です。

採血は毎回して、たまにマルクで骨髄を調べます。

5年は続いたかと思います。

5年生存率というやつですね。

 

白血病は治療プランが終わったからもう大丈夫!なんて簡単な病気ではありません。

再発の可能性があるからです。

実際、闘病仲間が再発して亡くなりました。

 

闘病仲間

彼は5つ年下の男の子でした。

亡くなった親友と同様に地元が一緒だったんです。

(病気は地元に原因があるのでは?なんて思いましたね^^;)

大人しくて勉強も遊びも一生懸命なとても良い子でした。

 

僕が退院してから暫くして彼も退院したという事を聞きました。

無事に退院出来て良かった。

と思っていたのですが、現実はとても残酷でした。

 

再発

退院してから半年もせずに彼の病気は再発しました。

その話を聞かされた僕はとても複雑な心境でした。

地獄の入院生活をまた繰り返さなければいけない彼が本当に可哀想で辛くて言葉になりませんでした。

 

そして数ヶ月後に彼は亡くなりました。

 

通夜

亡くなった闘病仲間は数人いましたが、葬式に出たのはこれが初めてでした。

『来てくれてありがとう』と彼のお母さん。

通夜が始まりお坊さんのお経が始まり、一連の流れが終わった後、僕と彼との最後の対面がありました。

とても優しい表情の彼。

当たり前ですがお母さんは泣き噦っていました。

僕は言葉もなく抱きしめてあげることしか出来ませんでした。

 

なぜ

あんなにいい子で一生懸命で頑張ってた子が、どうしてこんな辛い病気で、こんな若さで亡くならなければならなかったのでしょうか。

帰りの車中僕はずっと泣いていました。

 

さいごに

僕が寛解して5年生存率を超えられた一方で治療の甲斐も虚しく亡くなった仲間、再発して亡くなった仲間がいました。

その事を忘れてはいけません。

 

この記事にて一度目の白血病になった時の話を一旦終わりとします。

(また書き忘れた伝えたい事があれば記事を追加するかもしれません。)

 

読んでくださりありがとうございます。