白血病になった時の話

人生で二度白血病にかかりました(現在は寛解しています)。その時の記憶を遡りここに記していきます。

維持療法と高校生活

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僕は高校に進学しました。

退院はしましたがまだ白血病の治療は終わっていません。

 

維持療法

今後は外来での治療と、短期入院での治療があります。

この最後の段階の治療を維持療法と言うそうです。

 

  • 外来治療

外来治療では、1時間程抗癌剤を入れていました。

見ただけで吐き気を起こす、僕のトラウマなオレンジ色の抗癌剤です。

吐き気は起こすものの、少量だからか吐く事はあまり無かったと記憶しています。

 

飲み薬でプレドニン(ステロイド薬)も飲んでいました。

副作用で顔が丸くなったり、食欲が増えます。

薬を飲んでる期間は、吐き気があるからというのもありますが、太るのが嫌で一切食事を摂っていませんでした。

例え薬の副作用が原因であったとしても、太った自分がコンプレックスだったんです。

 

  • 入院治療

入院治療は4、5日間でした。

毎日抗癌剤を入れます。

2、3ヶ月に1回くらいのスパンで入院治療していたと思います。

 

通院

病院は基本的に平日しかやっていません。

なので必然的に学校を休んで通うことになります。

なので僕はよく早退して病院に向かっていました。

よく早退する僕が周りにはどう映っていたのでしょうか。

 

高校での自分

入学してから、僕は自分が白血病で入院していたという事を誰にも伝えていませんでした。

それは例え病気が原因であろうと、髪が抜けて太った自分を知られたくないという思いがあったのだろうと思います。

病気の事を聞かれると当時を思い出し、吐き気が呼び起こされるのもあったと思います。

 

よく早退する僕に『なんで帰るの?』と問い詰められても。

中学の卒業アルバム見せてと言われても。

僕は全て誤魔化し続けました。

 

担任の先生だけが僕の病気を知っていました。

 

体育の授業

僕の高校の行事にマラソン大会がありました。

全員参加で男子は10kmくらい走らなければならないハードな行事です。

初めての体育の授業はとても厳しいもので、授業開始から終わりまで只管一定ペースで走り続けるというものでした。

元々体力がない上に最近まで入院していた僕には当然無理です。

1人だけ付いて行けませんでした。

死にかけでしたね(⌒-⌒; )

 

体育教師はとても厳しい人で、全然付いていけない僕に

『お前なんで付いて来ないのよ』と

キレました。

僕は息絶え絶えに病気で最近まで入院していた事を説明しました。

 

次回から僕は歩くだけで良くなり、マラソンにも参加しなくていい事になりました。

厳しかった教師は僕にだけ優しくなりましたね。笑

ですが、皆んなが出来る事が自分には出来ないという事が悔しかったことも覚えています。